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最高裁判所第一小法廷 昭和54年(オ)719号 判決

上告人

中前勝訴訟承継人 中前千鶴子

外五名

右六名訴訟代理人

佐々木哲蔵

大澤龍司

後藤貞人

佐々木寛

被上告人

右代表者法務大臣

秦野章

右指定代理人

藤井俊彦

外六名

主文

原判決を破棄する。

本件を大阪高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人佐々木哲蔵、同大澤龍司の上告理由二について

一原審が確定したところによると、和歌山地方裁判所御坊支部は、昭和四六年七月二八日午前一〇時、亡中前勝(以下「亡中前」という。)に対し、同人の破産を宣告し、昭和四九年一一月二八日、破産終結の決定をした、というのであるが、本件において、亡中前は、右破産宣告前の昭和四一年一〇月一八日、自己が和歌山県日高郡美浜町町長に在職当時に請託を受けて職務に関して賄賂を収受したとの罪で起訴されたことにつき、右起訴が和歌山地方検察庁検察官の過失による違法な公権力の行使によるものであり、これによつて自己の名誉を毀損されたと主張して、昭和四八年三月一九日、弁護士を訴訟代理人として、被上告人に対し、国家賠償法一条一項に基づいて慰藉料二〇〇〇万円の損害賠償を求める本件訴えを提起したものであるところ、亡中前は本件訴えが原審に係属中の昭和五三年一二月一四日に死亡したことが本件記録上明らかである。

本件訴えにつき、第一審裁判所は、亡中前が本件訴訟の当事者適格を有するとしたうえで、被上告人に対して慰藉料二〇〇万円の支払を命じたが、原審裁判所は、破産者が破産宣告前に被つた不法行為による慰藉料請求権は、少なくとも破産者がその行使の意思を明示したときは、その時に同人の意思を離れた客観的存在としての金銭債権となり、同人が破産宣告を受けているときは当然に破産財団に帰属し、破産管財人がその管理処分権を有するものと解すべきであるとしたうえで、亡中前が本件慰藉料を請求したのは破産宣告後であるから、本件訴えは当事者適格を欠く不適法なものであるとして、第一審判決を取り消し、本件訴えを却下した。

二思うに、名誉を侵害されたことを理由とする被害者の加害者に対する慰藉料請求権は、金銭の支払を目的とする債権である点においては一般の金銭債権と異なるところはないが、本来、右の財産的価値それ自体の取得を目的とするものではなく、名誉という被害者の人格的価値を毀損せられたことによる損害の回復の方法として、被害者が受けた精神的苦痛を金銭に見積つてこれを加害者に支払わせることを目的とするものであるから、これを行使するかどうかは専ら被害者自身の意思によつて決せられるべきものと解すべきである。そして、右慰藉料請求権のこのような性質に加えて、その具体的金額自体も成立と同時に客観的に明らかとなるわけではなく、被害者の精神的苦痛の程度、主観的意識ないし感情、加害者の態度その他の不確定的要素をもつ諸般の状況を総合して決せられるべき性質のものであることに鑑みると、被害者が右請求権を行使する意思を表示しただけでいまだその具体的な金額が当事者間において客観的に確定しない間は、被害者がなおその請求意思を貫くかどうかをその自律的判断に委ねるのが相当であるから、右権利はなお一身専属性を有するものというべきであつて、被害者の債権者は、これを差押えの対象としたり、債権者代位の目的とすることはできないものというべきである。しかし、他方、加害者が被害者に対し一定額の慰藉料を支払うことを内容とする合意又はかかる支払を命ずる債務名義が成立したなど、具体的な金額の慰藉料請求権が当事者間において客観的に確定したときは、右請求権についてはもはや単に加害者の現実の履行を残すだけであつて、その受領についてまで被害者の自律的判断に委ねるべき特段の理由はないし、また、被害者がそれ以前の段階において死亡したときも、右慰藉料請求権の承継取得者についてまで右のような行使上の一身専属性を認めるべき理由がないことが明らかであるから、このような場合、右慰藉料請求権は、原判決にいう被害者の主観的意思から独立した客観的存在としての金銭債権となり、被害者の債権者においてこれを差し押えることができるし、また、債権者代位の目的とすることができるものというべきである。

三これを本件についてみると、亡中前が本訴訟提起によつて本件慰藉料請求権を行使する意思を明示したということだけでは、いまだ右権利につき同人による行使上の一身専属性が失なわれるものでないこと前記のとおりであり、したがつて、同人が既に破産宣告を受けていても、そのために本件訴えについて当事者適格を有しないこととなるべき理由はない。それゆえ、これと異なる見解に立つて亡中前の本件訴訟の当事者適格を否定した原審の判断は、誤りであるといわなければならない。そして、前記のとおり、亡中前は本件訴訟が原審に係属中の昭和五三年一二月一四日に死亡したというのであるから、本件慰藉料請求権は前記の一身専属性を失なつたものというべきところ、破産終結の決定がされたのちに行使上の一身専属性を失なうに至つた慰藉料請求権については、破産法二八三条一項後段の適用がないと解するのが相当であるから、本件慰藉料請求権が右の条項により破産財団に帰属する余地はなく、したがつて、本件訴訟はその相続人において承継することとなるべき筋合である。それゆえ、前記のように本件慰藉料請求権が破産財団に属するとの見解に立つて亡中前(ひいては同人の承継人)の当事者適格をも否定し、本件訴えを却下した原判決には、法律の解釈を誤つた違法があるものというべく、結局これと同旨に帰着する論旨は理由があり、その余の上告理由を判断するまでもなく原判決は破棄を免れない。そして、本件については本案につき更に審理を尽くさせる必要があるから、これを原審に差し戻すこととする。

よつて、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(団藤重光 藤﨑萬里 中村治朗 谷口正孝 和田誠一)

上告代理人 佐々木哲蔵、同大澤龍司の上告理由

一、原判決の要旨

原判決の要旨は次の通りである。(1)慰藉料請求権は行使上の一身専属権であり、それを「行使するか否かは、被害者の意思にまかされる」、(2)被害者が慰藉料請求権を行使する意思を明らかにした場合、慰藉料請求権は一個の金銭債権となり、差押が可能となる。(3)ところで右請求権は行使の意思表示をまつまでもなく、損害発生時から存在するのであるから破産財団に属する。

二、慰藉料請求権を行使上の一身専属権とする点において、原判決は最高裁判例に反する。

1 昭和四二年一一月一日、最高裁大法廷は慰藉料請求権についてその行使上の一身専属権を否定する判決を下し、この判例はその後の判例に踏襲され、現在では確定とした判例となつている。しかるに原判決は右判例に反し、慰藉料請求権を行使上の一身専属権であるとし、これを前提としてその論を展開している。従つて原判決はその前提において最高裁の判例に反しているというべきである。

もちろん前記昭和四二年の最高裁判例及びこれを踏襲する各判例は主として「生命」侵害の慰藉料に関連してなされたものであつて、原判決の「名誉」侵害の慰藉料とはその侵害の対象が異なるが、生命、名誉とも一身専属的法益であるという点において共通点を有している。又、生命が名誉よりも重大な法益であることが明らかであるが、生命侵害については行使上の一身専属権でないにも拘わらず、名誉についてはこれを一身専属権とするのは、法益の重大さの比較の観点からみて到底肯認しえない結論だと言わなければならない。

2 原判決は既に述べた如く行使の意思表示により慰藉料請求権は一個の金銭債権となり差押可能になると述べている。

ところで、前記昭和四二年の最高裁判例がでる迄、行使の意思表示の有無及びその時期をめぐつてその認定に関する多数の判例が続出し、その認定の困難性が問題とされていた。昭和四二年最高裁判決は右の点の認定を一挙に不要ならしめたのであるが、原判決は慰藉料請求権について再度、意思表示の有無、その時期に関する困難な認定を必要とするものである。原判決が従来の判例に反するのみならず、実際上も極めて困難な事実認定を強いるものであることが明らかである。

〈以下、省略〉

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